冬眠文化を研究するにあたっては、おもに冬眠を経験した当事者本熊に聞き取り調査を行ってきた。しかしインタビューではしばしば「これは叔父が幼い頃実際にあった話だが」「よその村ではむかしこんなことがあったそうだ」といった導入で、民話・伝承とも、一族に伝わる実体験ともとれる物語が語られる。ここではそんな語りの一例を紹介したい。 冬眠した熊の多くが、現実から遮断された時間の中で祖先や共同体の記憶に接続する「夢もぐり」を経験する。冬眠に向かう過食期、冬眠中の出産・育児期、冬眠終盤の半覚醒期もまた、現実から遠ざかっている時間であるといえるだろう。 冬眠熊は高齢化が進み、語りの収集は年々困難になっている。私自身、冬眠出産を実践した際には病院探しに難渋し、専門医師のいる隣県にしばらく居を移さなくてはならなかった。その医師である老齢の女性は、ある時次のように語った。 夢だけじゃない。熊が冬眠するねぐらは、この世にひとつなの。むかしの熊も今の熊も、この星の裏側にいる熊も、おんなじ穴で眠っているんだよ。 これらの民話が、現代を生きる我々には掴めなくなった冬眠感覚を探る手がかりとなれば嬉しい。
むかし、娘が冬眠の夢の中で、見知らぬ村にたどりついた。星が落ちてできた窪地に、大きな木の生えた村だった。 住んでいる土地を百年もさかのぼったり、家族や友熊と同じ夢を見たりするのは、冬眠では珍しくない。 だけど娘は、村に見覚えがなかった。おまけに知らない青年と知り合って恋に落ち、夫婦になって仔までつくってしまった。夢の中で何年も過ごしてたんだよ。 目が覚めると夢は跡形もなかったので、娘は嘆き悲しんだ。たしかに産んだはずの仔熊も腕の中になく、ねぐらをかき回しても床に敷いた松の葉がカサカサと鳴るばかり。 娘は塞ぎ込んでしまったが、夏も近づいた頃、行商の一団に混じった親仔に目を奪われた。抱かれた仔が夢の中の我が仔にそっくりだったんだ。娘は近づいて、 「あなたの村に、大きな木はありますか」 と尋ねた。問われた女ははっとして、 「ええ、星の落ちた跡に生えた大きな木が」 と答えた。青年ではなく女だったが、たいしたことじゃなかった。女は村に居着いて、三頭仲睦まじく暮らしたそうな。
この村にヘドロちゅう熊がおってよ、すさまじい力持ちじゃった。野で狩った牡鹿の角むんずと掴んでよ、ぽーんと放り投げると村の広場まで届くのよ。 えっとこさっとこよく働いたが、ある年からヘドロは冬眠したまんま、起きなくなってしまったんだ。 夢はらいをしても、ねぐらの前で好物のむかご汁を炊いてもだめで、みんなそのうち諦めた。 ところが大嵐のあった夏のこと、村の入口に大岩が転がってきて、すっかり道を塞いでしまった。村の者を集めて押そうが引こうがびくともしない。 そこへのっそり大きな熊影が現れたんだ。見ると大寝坊熊ヘドロじゃないか。あきれたね、今の今まで眠ってたんだよ。 そのヘドロが寝ぼけ眼でちょいと押すだけで、大岩を紙みたいに軽々とどかしてしまったんだ。村熊はもう、喜んだのなんの。 ヘドロはしばらく起きていたが、その年の冬また冬眠に入って、起きてこなくなってしまった。それでも村に困りごとがあると、目を覚まして助けにきてくれるんだ。それだからヘドロ沢ではみんな、ヘドロを起こさないように声をひそめて歩くのさ。
ほんとうにあったことだけど、うちの裏の家の息仔がね、秋に太ろうと山へ行って、ヤマネの家族を見つけたの。桑の実みたいにちっちゃな赤ん坊をぽんぽんとたいらげてねえ、最後に母親が残ったのよ。 母親はぶるぶる震えて、 「よい冬のねぐらを教えるから、許してください」 と命乞いをするので、腹の足しにもならないからと放してやったの。そうすっと、母親はついてこいと言ってどんどん山へ入っていってね。誰も入らない藪をいくつも漕いだ先に、熊が入れそうな穴があったって。 それがね、驚いたことに、中はとてもあたたかだったっつうの。穴の底の地面がぽかぽかとあたたかくて、寝転ぶと春の日向のようだったって。 息仔は家に帰って自慢して、家族にも場所を教えないでね、その冬はヤマネに聞いたねぐらにこもったの。 でも、冬眠って寒くなけりゃだめなのねえ、息仔はうまく眠れなくて、お腹が減って、じきに飢えて死んでしまった。春も終わる頃に見つかったんだけど、腹が腐れてまんまるにふくれていたそうよ。 ヤマネがものを言っても耳を貸すなというのは、このことからなのよ。
このあたりにゃあむかし、冬賊ってのがおってよう、冬眠せずに起きていて、皆が寝入った頃家に忍び込んで家財を荒らすのよ。鮭皮の反物やら、松脂やら、春先に食べる保存食やらなんでもかんでもな。 ところが冬賊がひとり、ある家に盗みに入った時のこと。家探しに夢中になっているうちに、壺をふたあつ、棚から落っことしちまった。中身はひとつが蟻の酢漬け、もうひとつが蜂の蜜漬けよ。 「ああ、もったいないことをした」 冬賊が少しでもかき集めようと近づくと、 ざらざら ぞぞぞ わうわう ぼぼう 壺の中身がむくむく起き上がり、蟻と蜂がそれぞれ集まって二頭の熊になった。そいつが冬賊に向かってきたからたいへんだ、あっちへ逃げれば蟻に噛まれ、こっちに逃げれば蜂に刺され、冬賊はあわてて逃げ出したんだと。 なぜこのことがわかったかというと、後になって冬賊がつまらん悪さで捕まってな、そん時語ったちゅう話だ。それを聞いた家の主はありがたがって、それきり蟻も蜂も口にせんかったというよ。
むかしむかし、あったとな。 村に陽気な熊があった。遠くの村から来たという女房に半ば押しかけられて暮らしとった。女房は素性が知れず、口数が少なく、左耳が欠けていたから、村の友熊たちは何かの化生ではないかと噂していた。しかし熊は陽気な気性だったので気にかけなかった。 ある年熊は冬眠中に夢をさまよって、数百年も前の村に行き当たった。今と違う家並みや、熊々の服装や話し方を面白がっていると、村熊たちの中に慣れ親しんだ顔があるのを見つけた。女房だった。 熊は夢の中で再会できたことを喜んで声をかけたが、相手はけげんそうに首をかしげ、返事もせずに去った。あとを追いかけると女房は一軒の家に入った。「あんた、ただいま」と聞き慣れた声がした。中をのぞくと夫らしい熊の背中が見えた。 熊はいぶかしんだ。耳が欠けているところをもってしても、間違いなく女房であるはずだ。友熊たちが噂するように不死身の化け物で、何百年も生きているのかもしれない、と考えた。 家の中の夫が女房の方を振り向くと、夫は自分の顔をしていた。熊はわっと飛び起きてしまったそうな。
うっとこでやない、冬番は狐帽子かぶるでよ。狐は冬じゅう起きてっからよお、一頭で村い守る冬番が無事済むようにってまじないだわな。 帽子にしる狐は狩ってくるのでねえ、育てるす。生まれた狐の中に斑の入ったんがおて、売りもんにならんからってわいがもらいうけたんがわな。 鮭の皮煮ついで汁飲まして育てたあす。けたけた笑うんが可愛て、可愛て。えっしょに寝たでない。 ほが、よそから商熊が来てない、 「斑入りの狐は、こっちじゃ縁起がええ」 ちゅうすよ。わいおんおん泣いたがない、どもならんでとうとう明日売るちゅことになったあす。 わいこっさり狐持ちだいて、村の外へ逃げたす。わい止め足ばっけり得意なさけよー、辿られんよにとんかく遠くへ逃げたっしゃ。せやど仔のたくらみなど知れとる。じき行っ詰んでしもたでな。すると、 「ひいさん、わい化けようで」 ちゅて、狐めが口ききよる。くんぐりくんぐり、回りよってやに、姿がかすんだか思うと狐帽子になったあった。ほやさけ、斑入りの狐帽子見たらよー、生きてんと思わなあけんで。
ある熊が冬眠中に目を覚ましてね、寝つけなくなったの。寝返り打っても、鼻を手であっためてみても眠れやしないので、冬眠室を出ることにしたのね。 すると村が騒がしくてね、みんな冬眠してるはずなのに、あっちの家からは湯気が立っているし、そっちの家からはのこぎりと金槌の音がするし。 あやしんだ熊がそっとのぞくと、リスたちが我が物顔で熊の家に入り込んでいたというの。 「やあ、リスども、好き放題してやがる」 そこで熊は咳払いをして、 「もうし、もうし、どなたかおらんか」 と、扉をどしどし叩いたのよ。そしたら、 「誰もおりません」 と返事があったので、リスのやつ居留守を使っているなと思って、 「ふさふさのしっぽが見えたがなあ」となお叩くと、 「アキノエノコログサです」と返事。 「それじゃ、穂をたしかめなくちゃなあ」 そう言って熊が扉を蹴破ると、あわてたリスはしっぽを噛み切って置いていったって。熊は大笑いしてよく眠れたんだそうよ。